恐るべき世界史の独裁者達 虐殺の歴史を繰り返してはならない

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ヴラド・ツェペシュ(ルーマニア)

出典:KIENKE.com

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15世紀ルーマニアで『串刺し王』と異名を取ったワラキア公国君主。

『ツェペシュ』とはルーマニア語で『串・杭』を意味します。

14~15世紀のヨーロッパ・バルカン半島の国々はオスマン帝国などの大国に侵略を受けていました。小国であるヴラド家のワラキア公国もその中の一つであり、ツェペシュは人質として少年時代の多くをオスマンの宮廷で過ごします。

帰還した時には父も兄も暗殺され、周りに信用できるものはいなくなっていました。

1456年、25才になりワラキア公国君主となったヴラド・ツェペシュは貴族を一堂に集めました。

そこで父と兄の暗殺に関わったされる貴族たちをその場で【串刺しの刑】に処したのです。

宿敵であるオスマン帝国軍の兵士に対してはさらに容赦はなく、兵士の串刺し死体が何百メートルと続き、土地全体に血生臭さが漂い、鳥や動物が群がる地獄絵図に敵国軍も撤退するほどだったといいます。

このような恐怖政治を行ったツェペシュですが、これにより他国からの迫害は減り、国民からは国を守った英雄として評価されたのです。

しかし1462年にトルコ戦争に敗れハンガリー軍によって捕らえられたツェペシュは12年間の監禁生活を過ごすことになります。

釈放後、再び君主の座に付くが、オスマン軍との戦いに敗れ戦死しました。

アドルフ・ヒトラー(ドイツ)

ドイツ・ナチスの総統として君臨した独裁者。第二次世界大戦を引き起こした張本人。

1933年に政権を握ると、ドイツから非アーリア系の民族・ユダヤ人の抹殺を行いました。

1945年までに600万人を殺害したとされ、これは20世紀で最大のジェノサイドと言われるほどのホロコーストです。

アウシュビッツ収容所など、人間を抹殺することを目的とした収容所に送られたユダヤ人達は、ろくな食料や暖房器具も与えられず、ツィクロンB(青酸ガス)などを使い大量虐殺された。およそ110万人が死亡したと言われます。

戦後、ナチスの戦犯たちは相応の刑に処されたが、総統であるヒトラーは自殺。裁きにけることはできなかったのです。

レーニン(ロシア)

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出典:DAGOSPIA.com

ロシア革命後、ソビエト連邦を指導しました。

この革命によって、民衆は自由を手にできると思っていたが、ここからレーニンの【赤色恐怖政治】が始まりました。

レーニンの搾取に怒り講義の声を上げる人々に対して、レーニンの部下達には『正義』の名の元に暴行や殺人など残虐な行為が許されました。

人々は令状もなく逮捕され、焼き印を押される、皮を剥がれる、水を掛けられ氷点下の屋外で氷漬けにされるなどの拷問に処されたのです。

レーニンは自分に歯向かう人々を『害虫』と呼び、1918年からの4年の間に1000万人もの人が犠牲になったと言われています。

スターリン(ロシア)

出典:dailymail

レーニンの死後、実権を握ります。

共産党員に対しでっち上げの告発で公開裁判にかけ、家族にに危害を加えると脅し、嘘の自白をさせ、粛清にかけました。

党幹部までもが容赦なく粛清対象となり、驚くべきことに1934年には党の代議士1996人中1108人までもが処刑されました。

また、粛清は秘密警察や軍にまで及びます。

復讐を恐れたスターリンはその家族や友人までをも逮捕し、粛清を恐れて自殺するものまでいたといいます。

この粛清では秘密警察内の3000人が死亡し、軍関係者に至っては第二次世界大戦よりも多くの人命が奪われたといいます。

そして後に一般人に対しての大粛清が行われます。

民衆の中に密告者を紛れ込ませ、人々を疑心暗鬼に捕らわれさせるように仕向けた。また密告したものには報酬を与えることによってこの傾向をさらにエスカレートさせました。

これにより逮捕され拷問や処刑などにより粛清された人間は100万人を越えるとも言われています。

毛沢東(中華人民共和国)

1949年に中華人民共和国を作り、中国共産党を創立。

1966年に、旧い文化を打ち壊し、多くの人々を抹殺した大粛清【文化大革命】が始まりました。

過激な思想に感化されやすい10代の若者を扇動。彼らは『紅衛兵』と呼ばれる組織を結成し、教師をターゲットにして抗議活動を展開。暴行・陵辱行為・時には死亡させる事件まで起こりました。このような行為が国家ぐるみで推奨されていたのです。

またこの革命が本格化すると、作家や芸術家などの旧文化の担い手が迫害の対象となり、暴行・書物や絵画や骨董などの破壊が行われた。こうして人々の間には恐怖心が植えつけられ、毛沢東に犯行する気持ちを萎えさせていきました。

自分の意のままに動く国家を作り上げるために手段を選ばなかった毛沢東。彼が死去し文化大革命が収束するまでに300万人に上る人々が粛清と言う名目で殺害されたと言われています。

ポル・ポト(カンボジア)

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1975年、腐敗した政権を打倒し、首都プノンペンを掌握します。

ポル・ポトに期待を寄せた民衆だったが、原始共産主義を掲げるポル・ポトは都市の人々を強制的に農村に移住させます。

移住には徒歩しか認められず、炎天下の強行軍を強いられた人々は次々と倒れ、老人や病人を始め2万人以上が命を落としました

その翌年から、旧体制に関わっていた者たちを始め、人々への粛清が始まりました。

『S21』と言われる秘密の拷問施設へ収容された者たちは、拷問を受け無実の自白を強要され次々と処刑されていきました。収容された14000人超の内、生還できた人間はたったの7人だったそうです。

また本当に重要な政治犯以外は『キリング・フィールド』と呼ばれる処刑場で、のどを掻き切られ穴に落とされるという無残な方法で殺されました。

このポル・ポト政権下のわずか4年間の間に犠牲になった人数は、カンボジア人の5人に1人、150万人~200万人に上ります。

まとめに

なぜ権力の座につくと人間は自分の力を誇示し、弱い物から略奪し蹂躙し命を奪うのでしょうか?あるいは一度手に入れた権力を失うまいと、疑心暗鬼にかられ、周りが全て敵のように感じてしまうのでしょうか?

いずれにしても狂っています。

しかし彼らを見れば解る通りそのような歪んだ栄華は永くは続きません。

この現実世界は人と人とが繋がって形成されています。これが心理です。

どのような立場の者であろうと、力を持った人間であろうと独り善がりでは生きられないのです。

このような悪は必ず最後には裁かれ滅びるのです。

今この世に蔓延っている凶悪な思想を持って人々を踏みにじっている者たちも、必ず。

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